心が折れた部下をどう支えるか──適応障害の社員を見守った2年間
メンタルが痛んでいる社員がいる職場に、上司として赴任したらどうすればいいのか。これは簡単ではない問題です。
まず原因を探り、本人を注意深く観察し、焦らず待つ。
そして、話せるようになったらじっくり話を聞き、少しずつ考え方の方向を示す──。
そんな地道な関わりが、時に状況を変えるきっかけになります。
■ 心が折れた若手社員との出会い
地方都市の支局長として赴任したとき、20代前半の男性社員Aはすでに出社できない状態でした。
原因は、前任の支局長によるパワハラでした。
前支局長は「厳しく育てる」と称し、仕事が終わっても居残らせて酒を飲みながら説教。朝も支局に必ず顔を出すよう義務づけていました。
他の支局員にもAの行動を逐一報告させ、職場全体が監視のような雰囲気に包まれていました。
Aは心身ともに限界を迎え、精神科で「適応障害」と診断されました。
私が赴任したとき、彼はまだ出社できる状態ではありませんでした。
できるのは、待つことだけでした。
■ ただ“待つ”ことの大切さ
Aがようやく出社できるようになっても、朝の「支局の顔出し」習慣はやめさせました。
Aは夕方に支局へ来ることが多く、時にはトイレに長くこもることも。
そんなときも無理に声をかけず、静かに待ちました。
あまりに長いときだけ「大丈夫か」と一言だけ声をかけました。
Aは幼い頃に父親を亡くし、都会育ちで知的で真面目。
クラシック音楽を愛する穏やかな青年でした。
反発したり自己主張したりするタイプではなく、むしろ謙虚で繊細。
環境を整え、ストレスを減らせば回復できるのではないかと感じました。
■ 信頼関係を築く
彼の健康診断で肝機能が悪いと分かり、酒は一切禁止させました。
「飲み会では『支局長から止められている』と言いなさい」と伝え、断る口実も用意しました。
取材トラブルが起きたときは、一緒に謝罪に行きました。
本社の責任で、彼のせいではありませんが、**“裏切らない上司”**であることを示したかったのです。
やがて、彼の書く記事には丁寧さと温かみがにじみ出るようになりました。
記事を地方版のトップに掲載し、支局全体で評価されるようにしました。
やせ細っていた体も少しずつふっくらとし、表情にも自信が戻ってきました。
支局では、私語を歓迎しました。その日あった出来事を支局員同士が話し合います。いつも笑い声が絶えません。
いつまでしゃべっているのかとも思いますが、そこには取材のアイデアやヒントがあり、取材先の情報共有、助け合いにもつながります。
上司として支局員の危険も雑談から察知し、取材先から受けたパワハラ、セクハラも気づいてあげることもできます。対策を練ることもありました。
■ 成長していく姿
次第に、Aは地元の文化や歴史を積極的に取材し始めました。
後輩記者が赴任すると、熱心に指導もするように。
支局一番の書き手となり、記事が少ないときは何本も原稿を出してくるほど。
ただ、体を壊さないように「少し休んで」と説得したことはあります。
それほど責任感を持って仕事をしてくれたのです。
2年後、Aは全国ニュースも担当するまでに成長し、
社からの評価を受けて本社近くの通信部に異動しました。
一人でエリアを任されるほど信頼を得ていたからです。
今も別のエリアで、大きな記事を書き続けています。彼の成長は頼もしい限りです。
■ 上司として学んだこと
Aは後に「支局長は“神”でした」と言ってくれました。
うれしい言葉でしたが、私こそ彼から多くを学びました。
「観察すること」「信じること」「話を聞くこと」「長所を伸ばすこと」
そして「仕事を楽しむこと」──。
これらが、心を前に向かせるために何より大切だと思います。
今でも節目には彼と会い、あの頃の話をします。
立派に成長したその姿を見るたびに、
人の可能性を信じ続けることの意味を実感します。



