転職後、前の会社の人とどう接するべきか。Y新聞社の巨頭・渡辺恒雄氏が私のスクープを絶賛した、元新聞デスクが語る「敵を作らない大人の生存戦略」
会社を辞めて別の会社に転職したけれど、前の会社の人たちとこれからどう接していけばいいのか――。
この問題に頭を悩ませる転職経験者は、決して少なくありません。特に、その会社や人間関係が嫌で辞めたケースであれば、なおさら顔を合わせたくないのが本音でしょう。
しかし、もし同じ業界への転職であれば、記者クラブ、会見場、取材先などで、前の会社の人間と遭遇することは絶対に避けられません。
私自身、最初の全国紙を去って今の会社に移った後、自分が思っていた以上に、前の新聞社の元先輩や同僚、上司たちと現場で鉢合わせました。その度に「なんで辞めたのか」と詰め寄られ、辟易したものです。
同じ業界に生きる限り、前の会社との「しがらみ」や「因縁」は、良くも悪くもずっと続いていきます。30年以上マスコミの第一線で記者やデスクを経験した私が、業界の狭さゆえの驚くべき実体験と、自戒を込めた「大人の防衛策」をお伝えします。
1. 現場から逃げられない:会見場や記者クラブで次々と再会する「過去の亡霊」
前の会社を辞めるとき、誰しも「これでようやくあの地獄と縁が切れた」と思うものです。私も20代で最初の全国紙(Y新聞社)を辞めたとき、二度とあそこの人間と関わることはないだろうと感じていました。
しかし、日本のビジネス社会、とりわけマスコミ業界は驚くほど狭い世界です。私は別のメディアへ移籍した後、思わぬ形で昔の会社、そしてかつての同僚たちと向き合うことになりました。
各赴任地での取材現場は、まさに再会の連続でした。
- 大阪府警担当のとき: 取材先で前の会社の先輩記者に見つかりました。先輩は有無を言わさず私をY新聞社の記者室へと連行し、「なんでうちを辞めたのか」と執拗に問いただしてきました。ただただ面倒くさい、不毛な時間でした。
- 霞が関(厚生労働省・拉致被害者担当)のとき: ここでも前の会社の女性記者と完全に取材現場がバッティングし、激しいスクープ合戦を繰り広げることになりました。

支局長時代:かつての同期がライバル社の「敵将」として現れる
年月が経ち、私が管理職になってからも因縁は続きます。
- 三重県・伊賀支局長時代: ライバルであるY新聞社の伊賀支局長として赴任してきたのは、なんと私の「同期」でした。彼とはお互い責任ある立場として、昔を振り返りながらよく夜に食事を共にしました。
- 福井県・敦賀支局長時代: 原子力規制委員会などの原発取材の会見場。そこでも、少し離れた小浜通信局にいたY新聞社の別の同期記者と再会しました。彼は原発問題に極めて精通した凄腕記者であり、会見場ではいつも机を並べて切磋琢磨し合う関係になりました。

同じ業界にいる限り、完全に前の会社と関係を断ち切ることは不可能なのです。
2. 奇妙な因縁:Y新聞社の主筆・渡辺恒雄氏が、私のスクープ記事を大絶賛した日
その業界の狭さと仕事の因縁を、私が最も強烈に思い知らされた、一生忘れられない出来事があります。
今から10数年前、私が今の会社の東京本社・社会部で、靖国神社の「A級戦犯合祀」をテーマにした大型特集記事を担当したときのことです。
私は当時の国の関係者へ何カ月も粘り強く取材を重ね、他社が絶対に真似できない独自の調査報道として、1面と社会面に大々的に記事を掲載しました。
このスクープは世間に大きな反響を呼び、ありがたいことに社内の最高賞を受賞しました。
しかし、本当のドラマは、その後に書店で起きたのです。
たまたま立ち寄った書店で、朝日新聞社が発行していた高位の月刊言論誌『論座(2月号)』をパラパラと目にした私は、我が目を疑いました。
巨頭対談で引用された、私の書いた「ゲラ(記事)」
誌面では、靖国問題と小泉首相の参拝をテーマに、Y新聞社の最高権力者である主筆・渡辺恒雄氏と、朝日新聞の論説主幹による、メディア界の巨頭対談が行われていました。なんとその対談の真ん中で、私の書いたスクープ記事が要約付きで堂々と引用されていたのです。
渡辺恒雄氏は、対談の中で激しい身振りを交えながら、次のように熱弁を振るっていました。
「A級戦犯を合祀させたのは厚生省の援護局でしょ。最近の○○新聞(※私の現在の会社)に記事が載っていたけれども……だから、新聞人としてはけじめをつけなきゃいけない。軍人がいかにひどいものだったかを、きちんと伝えなきゃいかんのですよ」
本質を見抜く鋭い眼力を持つ渡辺氏は、私の書いた記事の正確性と社会的意義を、ライバル社の紙面でありながら100%認めて絶賛していたのです。
おそらく渡辺氏は、その絶賛している記事を書いた人間が、かつて自社(Y新聞)の理不尽なハラスメントに耐えかねて、わずか1年あまりで逃げ出していった「元部下の若手記者」だとは夢にも思わなかったでしょう。
その対談は後に単行本化され、あとがきには*「発売直後から中・韓・米の海外メディアから問い合わせが殺到し、論座2月号は爆発的に売れて完売した」*と記されていました。
自分が命がけで書いた記事が、自分の手を離れ、かつて飛び出した古巣のトップにまで届き、世界を動かしていた。記者という仕事の恐ろしさと、切っても切れない「縁」の不思議さに、私は書店の前で鳥肌が立つような衝撃を覚えたのです。
3. 大人の生存戦略:会いたくない人ほど会う世界で「敵」を作らない方法
これらの経験から、これから転職活動を始める、あるいは新しい一歩を踏み出すあなたに、絶対に心に刻んでおいてほしい鉄則があります。
それは、「どんなに今の会社が嫌いでも、絶対に失礼な態度で泥を塗るように辞めてはいけない。できる限り敵を作らずに去るべきだ」ということです。
会いたくない人間、パワハラをしてきた上司や先輩ほど、未来の取材先や会見場で、最悪のタイミングで向こうから目の前に現れます。その時、「あの時、感情に任せて不義理な辞め方をしなければよかった」と後悔しても、もう遅いのです。

退職理由は「家庭の事情」という大人の嘘で通す
私自身、最初の全国紙を去る際、本音はパワハラや過労死ラインの労働環境に対する絶望でしたが、表向きの退職理由は徹底して「実家に戻らなければならなくなった」という、家庭の事情一点に絞って会社と交渉しました。
古巣への怒りをグッとこらえ、大人の節度を持って組織を去ったからこそ、後日再会した元先輩や同期たちからも、余計な敵意や恨みを持たれることがありませんでした。
それどころか、後になって関係がフラットになると、前の会社の後輩たちから「実は私も今の会社を辞めたいのですが、デスクはどうやって転職を成功させたんですか?」と、こっそり転職相談を持ちかけられることさえ何度もあったのです。
まとめ|過去の「縁」を味方に変えて、新しい未来へ進め
同じ業界にいる限り、過去の関係を完全にゼロにすることはできません。しかし、それは決して恐れるべきことではないのです。丁重に、かつスマートに去りさえすれば、かつてのライバルや同期という「縁」が、巡り巡って新しい職場での仕事を助けてくれたり、思わぬ特ダネのヒントを運んできてくれる最高の資産へと変わります。
一度世に出したあなたの実績や仕事は、あなたの手を離れて広がり、必ず次の職場であなたを正当に評価してくれる誰かの目に留まります。ナベツネ氏が私の記事を認めたように、本物の仕事は、組織の壁をも超えるのです。
だからこそ、今の職場で理不尽に消耗しているなら、後ろ足で砂をかけるような突発的な辞め方をするのではなく、在職中の今から、誰にもばれないように賢く、戦略的に次の脱出ルート(転職活動)を整えましょう。
大人の賢い知恵と「お守り」をポケットに忍ばせて動くこと。それこそが、過去のしがらみに一切縛られず、新しい職場で大活躍するための唯一の生存戦略なのです。
んでくださったあなたも、心当たりはありませんか?
「あのときの縁が、別の形で戻ってきた」――そんな経験が。


