原発がある地域での取材法 こうして壁にぶつかる|記者が見た原子力村とマスコミの光と影
原発が立地する町を取材するとき、普通の地方取材とは空気が違います。
地元の人も行政も、なぜか口が重い。
背景には、電力会社、関連産業、地元有力者、行政、学者が強く結びついた「原子力村」と呼ばれるネットワークがあるからです。
本音や原発立地にマイナスになることは、マスコミには言わない。反対運動をしているのは県外の人がほとんど。
その構図を頭に入れて、現地の取材に当たれば驚くことはありません。何が真実か。常に考えながら報じていくことが求められます。
今回は、私が現場で実際に体験した“見えない壁”と、マスコミの内側で見えた光と影をお話しします。
原子力村という見えない防波堤
原発のある町に行くと、まず情報が入りません。
資料は非公開、説明は専門用語だらけ。
エネルギー見通しの数字も、何パターンも用意され、都合よく使い分けられます。
取材メモはだんだん「黒塗り」だらけになり、質問を重ねても答えは煙のように消えていきます。
——これが、原発推進を支えてきた原子力村の防波堤です。
安全より生活——議論が動かない理由
福島第一原発事故の後、原発の安全性をめぐる議論は全国で高まりました。
しかし立地自治体は、多くが過疎地域。
原発マネーがなければ、町が立ち行かない。
飲食街も宿泊施設も、作業員の存在を前提に成り立っています。
「安全か地域活性化か」ではなく、「原発がなければ生活そのものが消える」という現実があるのです。

「そんなこと言っていない」——現場でよくある食い違い
ある日、全国紙がスクープを打ちました。
「使用済み核燃料保管施設の建設を、地元自治会が容認」と。
自治会長に電話すると、返ってきたのは予想外の答え——
「そんなことは言っていない」。
記事には知事の容認コメントもありましたが、会見で知事も「言っていない」と真っ向から否定。
原発取材の現場では、こうした食い違いは珍しくありません。
記事が先にあって事実が後からついてくるような感覚すらあります。
マッチポンプのような記事づくり
新設原発に「危険だ」と警鐘を鳴らしたかと思えば、建設凍結による経済停滞を批判する。
地元に渡った原発マネーを問題視しながら、支出が止まれば「道路整備が遅れる」と逆の記事を書く。
ベテラン記者が火をつけ、記事で消火し、また火をつける——そんなマッチポンプのような構造が繰り返されています。
しかも火付け役は、新聞〇会賞の受賞者だったりします。
再生可能エネルギーも同じ道をたどった
太陽光発電や風力発電も、最初は「原発の代替」としてもてはやされました。
ところが数年後には、「天候に左右される」「コストが高い」「森林伐採で環境破壊」と批判が急増。
気づけば「温暖化対策には原発回帰が必要だ」という論調が強まり、再生可能エネルギーも国や報道機関の手のひらの上で転がされているようでした。
核融合発電がもたらす転機
そんな中で急速に技術が進歩したのが、核融合発電。
少量の重水素で巨大な発電が可能、安全性も高いとされます。
欧米や日本のベンチャー企業が次々と参入し、数十年後には実用化も視野に。
この新技術の台頭が、原子力村に依存したエネルギー報道の構図を変えるかもしれません。ただ、超えるべき技術的な課題は山積み。実用化はまだ先になりそうです。
それでも核融合発電に欧米やアジアの投資が集まり、技術競争が激化。日本のベンチャーや大学も積極的に参戦しています。ここで、日本の技術が取り入れられれば日本の新たな産業として大いに期待できます。
福井県では、知事が原発使用済み核燃料の県外処分や原発新設について、安全性を求める政策を慎重に進めてきました。国の増設ありきの姿勢には、一定の距離を置いてきました。ところが先日、職員へのセクハラが発覚し、辞任しました。
官僚出身だが、県民を向いた県政を積み重ねて県民や記者たちの信頼も厚かったように見えた。それだけになぜ、という疑念がぬぐえない。
まとめ
原発立地地域での取材は、単なる“記事づくり”ではなく、複雑に絡み合った経済・政治・生活の網の目をほぐす作業です。
そこには事実を覆い隠そうとする壁も、マスコミ自身のバイアスも存在します。
けれど、壁の向こうに真実がある限り、記者は足を止めるわけにはいきません。



