『感動の押し売り』はもう限界。元甲子園デスクが見た高校野球報道の崩壊と、SNSが暴いた美談の嘘」
メディアは高校野球をどう伝えてきたのか。これからどこへ向かうのか。
その疑問に答えます。
かつて日本の春と夏を彩ってきた高校野球報道は近年、規模は縮小しています。
背景に新聞、テレビの部数減少や視聴率低迷、経費削減の影響で、人を減らすなど取材態勢の大きな見直しがあります。
高校野球の在り方も、投手の球数制限や開催時間の変更、タイブレーク制の導入など、選手のけが防止と人権に配慮した運営に変わりました。
ファンが高校野球に望むものも根性や服従、犠牲、規律の美学から自由、明るさ、戦略、個性などへと変わりつつあるようです。
甲子園デスクとして10回以上甲子園取材を経験した新聞社勤務30年以上の私が、取材現場の裏側と、高校野球報道の未来について解き明かします。
甲子園取材の思い出と記者の役割
私は社会部からデスクとして春夏の甲子園に派遣されました。球場近くに臨時支局を構え、各地から集まる若手記者たちの原稿をチェックしました。
全国ニュース向け記事や、地元選手の活躍、スタンドの様子など地方ニュース記事をそれぞれ本社に送りました。
本社勤務とは違い、他地域の記者や写真部員と協力しながら進める仕事は新鮮で、食事をしながら打ち合わせやアイディアを出し合うこともありました。
試合後に去っていく記者たち
試合では担当校の記者が中心となり、他地域の記者が応援に入ります。
担当校が敗退すると、記者は地元に戻ります。後半になると記者不足に悩まされ、何度も各支局長に滞在延長をお願いしたこともありました。
統一地方選や総選挙と重なる年は、私も含めて記者が選挙取材と甲子園デスク業務を同時進行でこなしました。
しかし、人員削減から甲子園にいながらの社会部デスク業務は、年を追うごとに増えていきました。
高校野球報道はなぜ縮小しているのか
近年、新聞の発行部数やテレビ視聴率の低下により、各社は人員や経費をどんどん削減しています。
私が勤務する社も地方大会から紙面がどんどん縮小され、ついに3年前に甲子園デスクや臨時支局も廃止されました。
経費の問題だけでなく、高校野球そのもののニーズも変わりつつあるからです。
高校野球の課題
昨夏、広島県の広陵高校で部員への暴力問題が発覚しました。
いじめやしごき、体罰などの問題が次々に明るみに出ました。
名門野球部の旧態依然の上下関係や監督への絶対服従が問われました。
急速な気候温暖化で、酷暑の中で選手をプレーさせる安全性や、朝日・毎日新聞主催による大会の時期や場所の是非も議論されています。

SNS時代の高校野球報道
かつて高校野球はマスコミと高野連にとって良質な都合の良いコンテンツでした。
春夏のニュースが薄い時期に、多くの読者を引き付ける話題。選手や家族、同窓生、地元関係者、商店街の人たちが買って読んでくれました。
問題があっても長年、裏の部分は表に出せません。
しかし、SNSの台頭により、不祥事や運営上の不備が表にさらされるように。暴力事件の被害者側の情報もどんどん発信されるようになりました。
マスコミもその情報をもとに動かざるを得ない。
眠っていた問題が一気に噴出しました。問題が発覚した高校は、事を小さく見せようと後手後手に回り、さらに批判の集中砲火を浴びました。
そもそもこのような高校を持ち上げてきたのは新聞社、スポーツ紙、テレビ局ではなかったのか。記者たちは現場で気づいていたはず。取材がしにくくなるとして遠慮していたのではないか。
発行部数減、テレビ局の広告収入が減る中、高校野球に向ける人員はどんどん減っています。選手たちにドラマチックなこと押し付けるやり方は、もう限界に来ています。それはプロ野球が担うべきです。
学校側や監督につくられた高校球児の美談はSNSの浸透により、すぐにばれてしまうようになった。そのことに読者は気づいています。
旧来の高野連やマスコミ主催者、学校側は、これからの高校野球の在り方をもっと議論すべきです。
野球だけではありません。サッカー、ラクビー、駅伝、バレーボール、バスケットボール、スキーなど高校生スポーツ大会はたくさんあります。
それらを含めて、何をどう伝えるのかを議論していく必要があります。
まとめ
高校野球は今も多くの人に愛されるスポーツですが、報道スタイルや取材態勢は大きな転換期を迎えています。
背景に高校野球のビジネス化や学校、有力者の支配が優先され、選手の人権や教育の場としての機能がないがしろにされた面があります。
私が甲子園デスクをしていたときは、投手の球数制限やタイブレーク制導入、熱中症対策など選手を守る報道を積極的にしてきたつもりです。
かつて私たちは、球児たちを『感動の演出家』として消費していたのかもしれません。しかしこれからは、彼らの『人権』や『安全』を守り、等身大の個性が輝く瞬間を科学的・客観的な視点も交えながら温かく見守る報道へと変わるべきです。
押し付けられた美談ではなく、彼らが怪我なく、自分らしくスポーツの浪漫を追いかけられる未来へ。私たちは今、その新しい伝え方のスタートラインに立っています。



