『この取材は嘘では?』と税務署に疑われた奇跡──元米兵ジェンキンスさんが佐渡島で語った『自由』と、拉致問題の真実
『この領収書、本当ですか? 取材自体が作り話では?』
出張から戻った私に、税務署は本気でそう疑いの目を向けました。
無理もありません。当時、メディア露出が極めて限定的だった北朝鮮拉致被害者の曽我ひとみさんの夫、故チャールズ・ジェンキンスさんへの単独取材は、当局の目にも『不可能』に映ったからです。
ジェンキンスさんは実際にお会いすると気さくな方。脱走兵として北朝鮮に渡った経緯、ひとみさんとの出会い、佐渡では静かに暮らすことを望んでいることを話してくれました。
和は30代後半、東京社会部の担当記者として佐渡島へ渡り、彼と向き合ったあの日の記録。冷戦の歪みと、彼が最後に求めた『自由』の正体を、風化させてはならないとここに記します。
ジェンキンスさん取材の経緯
20年ほど前、私は、拉致問題の節目の年、地元新聞社を通じて新潟県佐渡市の佐渡島で同僚と2人での取材が許されました。
当時、拉致被害者やその家族に直接取材することは極めて珍しいことでした。
北朝鮮に渡った背景と曽我ひとみさんとの出会い
ジェンキンスさんは1965年、在韓米軍軍曹として韓国での任務中、「ベトナム戦争への派遣を免れたい」という動機から北朝鮮へ脱走しました。
そこで軍学校の英語教師などを務め、やがて北朝鮮の引き合わせにより曽我ひとみさんと出会い、結婚。
北朝鮮では、軍学校での英語教師や北朝鮮のプロパガンダの映画で、悪役のアメリカ兵を演じることを命じられた。
准看護士として働いていた当時19歳のひとみさんは1978年、佐渡島で母親のミヨシさんとともに北朝鮮の工作員によって拉致された。
2002年の日朝首脳会談で北朝鮮が拉致を認め、ひとみさんと娘たちが帰国。後にジェンキンスさんも日本に渡り、米国軍脱走の罪での服役後は佐渡市で家族と生活を始めました。
私たちが取材したとき、ジェンキンスさんは、佐渡歴史伝説館で観光客を迎えたり、せんべいの販売を手伝ったりするなど、地域社会に溶け込んで生活していた。2人の娘も日本で大学を卒業し、就職したという。
2017年に不整脈のため77歳で亡くなったが、彼は佐渡での生活を「人生の最終章」と呼び、過酷だった北朝鮮での日々を経て得た日本での自由で平穏な暮らしに感謝していたという。
佐渡島での取材の様子
ホテルの一室で取材に応じたジェンキンスさんは、想像より背が高く痩せていました。英語はなまりが強く聞き取りづらかったものの、時折ジョークを交えて穏やかに話してくれました。
北朝鮮での監視された生活や、自由のない環境で家族と生き抜いた日々が垣間見えました。米軍からの脱走で朝鮮半島の38度線を超えるときの緊迫した様子も語ってくれました。
ひとみさんとは英語を使い、北朝鮮の役人から隠れて、本音でひとみさんと話し合っていたことも明かしました。
ただ、北朝鮮に残されている拉致被害者のことを気遣って、表に出ていること以外の詳細な話は避けていたように感じました。
取材を通じて印象に残ったのは「佐渡で静かに暮らしたい」という言葉。
その表情には、長い苦難を経た安らぎがにじんでいました。取材には、同僚の卓越した英語力に助けられました。
「ありえない」と疑われた取材
この取材のハードルの高さと希少性を物語る、後日談があります。
本社へ戻り経費精算を行った際、税務署から「この取材自体が虚偽ではないか」と疑いの目を向けられたのです。
当時、メディア露出が極めて限定的だったジェンキンスさんへの独占取材は、当局の目にも「不可能」に映ったのかもしれません。私は、紙面に大きく掲載された自身の「署名記事」を証拠として提出し、ようやく取材の事実を認めさせました。
取材を振り返って
事件・事故・省庁取材とは異なる不思議な感覚――それは、国境を越えた家族の物語を、当事者の言葉で聴き取れたからだと思います。
ジェンキンスさんの話は、単なる一家族の再会物語に留まりません。元米国人軍曹という特異な立場から語られた言葉は、冷戦が生んだ歪みと、北朝鮮内部における凄惨な「人権侵害の実態」を国際社会に突きつける貴重な証言でもありました。
彼は自著『告白』においても、自らの脱走を「卑劣な罪」と断じつつ、自由を奪われた環境下で、いかに人間としての尊厳が踏みにじられてきたかを詳細に記録しています。佐渡島での穏やかな表情の裏には、こうした過酷な体制を生き抜いた「サバイバー」としての覚悟と、沈黙を破って事実を伝えるという国際的な責務が同居していたように感じます。
まとめ
彼の証言は、その後、国連や国際社会が拉致問題および北朝鮮の人権状況を厳しく追及する上での重要なピースとなりました。
拉致問題は、過去の事件ではなく、今も解決を待つ家族がいる「現在進行形」の人権侵害です。
ジェンキンスさんが佐渡で見せた安らかな笑顔を、すべての被害者家族が取り戻せる日はいつになるのでしょうか。政府の迅速な対応と、私たち市民の絶え間ない関心が、解決への唯一の道です。
内閣官房 拉致問題対策本部 公式サイト(※ここにリンクを貼る)https://www.rachi.go.jp/



