新聞社の「遊軍記者」とは?社会部遊軍の仕事内容と体験談を解説

遊軍記者は、政治・経済・社会・文化と垣根を越えて動く “遊撃部隊” です。
社内外の情報をつなぎ、ニュースの空白を埋める役割を担っていました。

新聞社内で使う言葉には軍隊用語が少なくないです。社会部遊軍もその1つ。呼び名の由来はよくわかりません。
警察や検察、裁判所、省庁、国税庁、鉄道、都庁など決まった持ち場がなく、ニュースに臨機応変に対応しているからでしょうか。検索ワードでも調べられているようです。どんな業務なのか現場目線で解説します。
遊軍記者とは?役割と意味
遊軍という名称は入社したときからありました。私がいたときは記者は十人ぐらい。記者の序列に応じて一番騎、二番騎などと呼んでました。手配師のようなキャップがいて指示を記者に出します。
新年企画や戦争、ノーベル賞や耐震偽装事件、社会的テーマの企画や突発事案の対応、まとめもの、識者の談話取り、国会解散時の注目議員の動きなどを取材していました。北朝鮮拉致被害者は私が遊軍時代に担当しました。企画で海外出張にいくこともあります。割と自由な取材ができました。
遊軍の雰囲気と社内での立ち位置
記者は取材後は本社に上がることが多いので、紙面が組みあがるまで近くの居酒屋「なかよし」で夕食をともにすることが多かったです。みんな話上手で、芸達者な人が多かった印象です。
「なかよし」には社会部出身の幹部もちょくちょく顔を出し、お金を置いていってくれました。他の部署より人事情報が集まり、社内情勢も知ることができるメリットがありました。
遊軍記者の魅力と苦労
食事はプレゼンの場でもあります。記事のアイディアを出し合い、ふくらませるのに大事な時間でした。しかし、翌日には皆忘れていましたが。結果的に、遊軍は社内の潤滑油のような役割も担っていました。
私は厚生労働省の担当になってからも遊軍兼務をやらされていました。遊軍の仕事はわくわく感があり、記者同士のおしゃべりも楽しかったです。
外部からは「遊んでいるように見える」と言われがちですが、実際には新聞社の機動力を支える重要な存在でした。
遊軍で、思い出に残っているのは国会取材でした。
国会議事堂の中は地下通路があったりして迷路のようになっており、衆院、参院の棟を行ったり来たりできます。印象に残っているのは食堂。高級な広いフードコートになっていました。お寿司屋さんや洋食店、和食店、そば店など何でもそろっていました。お値打ちな値段で食べられたと記憶しています。
陳情に来た地元の人たちや議員関係者も多くいました。お土産もそろっていたと思います。地元に帰って支援者らに配るのでしょうか。独特な雰囲気がありました。
まとめ
人生も仕事も「遊び」があってこそ広がりが出る。
遊軍記者は、まさにその象徴だったと思います。
