佐渡島で出会ったジェンキンスさん ─ 拉致被害者家族と歩んだ数奇な人生

北朝鮮拉致被害者・曽我ひとみさんの夫、チャールズ・ジェンキンスさんを新潟県佐渡市の佐渡島で取材。脱走兵として北朝鮮に渡った経緯、ひとみさんとの出会い、佐渡では静かに暮らすことを望んでいることを話してくれました。
ジェンキンスさん取材の経緯
私が30代後半の頃、東京社会部で拉致問題を担当していました。節目の年、地元新聞社を通じて偶然にも佐渡島での取材が許されました。当時、拉致被害者やその家族に直接取材することは極めて珍しく、貴重な機会でした。
北朝鮮に渡った背景と曽我ひとみさんとの出会い
ジェンキンスさんは1965年、在韓米軍勤務中にベトナム戦争派遣を恐れて北朝鮮へ逃亡しました。そこで軍学校の英語教師などを務め、やがて政府の紹介で曽我ひとみさんと出会い、結婚しました。
2002年の日朝首脳会談で北朝鮮が拉致を認め、ひとみさんと娘たちが帰国。後にジェンキンスさんも日本に渡り、服役後は佐渡市で家族と生活を始めました。
佐渡島での取材の様子
ホテルの一室で取材に応じたジェンキンスさんは、想像より背が高く痩せていました。英語はなまりが強く聞き取りづらかったものの、時折ジョークを交えて穏やかに話してくれました。北朝鮮での監視された生活や、自由のない環境で家族と生き抜いた日々が垣間見えました。
取材を通じて印象に残ったのは「佐渡で静かに暮らしたい」という言葉。その表情には、長い苦難を経た安らぎがにじんでいました。取材には、同僚の卓越した英語力に助けられました。
「ありえない」と疑われた取材
取材後に経費精算を行った際、税務署から「取材自体が虚偽ではないか」と疑われました。仲間内の飲食と誤解されたのです。私は署名記事を証拠として提出し反論しましたが、それほどまでにジェンキンスさん取材は非日常的に見えたのでしょう。
取材を振り返って
事件・事故・省庁取材とは異なる不思議な感覚――それは、国境や体制を越えた家族の物語を、当事者の言葉で聴き取れたからだと思います。米国人の目線から見た拉致問題の根深さ、人権侵害の現実、そして家族としてのささやかな日常の尊さ。一次情報の力を強く実感しました。
本稿は過去の取材記録ですが、課題は現在進行形です。節目の年や関連ニュースのたびに、事実を丁寧に振り返り、社会の関心を絶やさないことが必要だと考えます。まだ、帰国していない拉致被害者がいます。被害者家族は高齢になっても帰国を信じて活動を続けています。政府は一刻も早く解決しなければなりません。
