会社を辞めても縁は切れない|思わぬ再会と記事の独り歩き

記者の転職は縁を断ち切れるのか
会社を辞めるとき、誰しも「これで縁は切れた」と思うものです。私も二十代で新聞社を辞めたとき、二度と関わることはないだろうと感じていました。
しかし、業界は狭い。思わぬ形で昔の会社の名前と再び向き合うことになりました。
「合祀」をめぐる特集記事
十数年前、私は現在の勤務先で靖国神社の合祀をテーマに特集記事を担当しました。国の関係者に時間をかけて取材を重ね、独自の調査報道として1面と社会面に掲載。反響を呼び、社内の賞もいただきました。
月刊誌「論座」で再評価される
驚いたのは、その記事が朝〇新聞の月刊誌『論座』2月号で取り上げられたことです。靖国と小泉首相をテーマに、Y新聞社の主筆・渡辺〇雄氏と朝〇新聞の論説主幹の対談において引用されました。
渡辺氏は次のように語っています。
「A級戦犯を合祀させたのは厚生省の援護局でしょ。最近の○○新聞に記事が載っていたけれども…だから、新聞人としてはけじめをつけなきゃいけない。軍人がいかにひどいものだったかを、きちんと伝えなきゃいかんのですよ」
私の記事は「合祀に関する○○新聞の記事」として要約付きで紹介されました。
書店で知った思わぬ出来事
私は書店でその雑誌を手に取り、初めて掲載を知りました。おそらく渡辺氏は、私が元Y新聞社の社員であることを知らなかったでしょう。それでも、不思議な縁を感じざるを得ませんでした。
やがて対談は単行本にも収録され、あとがきにはこう記されています。
「発売直後から韓国、中国、米国の新聞社から問い合わせが相次ぎ、記事として取り上げられました。さらに国内でもテレビや夕刊紙、写真週刊誌などで紹介され、論座2月号は爆発的に売れ、完売しました」
記者業界のつながりは切れない
その経験から私は思いました。
記事を書くときには「その瞬間の読者」しか意識していません。しかし、一度世に出た記事は、自分の手を離れ、思わぬ人の目に触れ、想像もしなかった影響を及ぼしていく。そして、その過程で「かつての職場との縁」までもが自然とよみがえることがある。業界の狭さゆえかもしれませんが、記者という仕事の宿命でもあるのだと感じました。
霞が関や大阪で取材していると、前の会社の同僚や同期と記者クラブや取材先で顔を合わせることもありました。結局、同じ業界にいる限り、完全に関係を断ち切ることは難しいのです。けれど、それは決して悪いことではありません。むしろ「縁」が思わぬ形で仕事を広げることもあるのです。
記事を読んでくださったあなたも、心当たりはありませんか?
「あのときの人が、別の形で戻ってきた」――そんな経験が。