新聞記者が夢見たシナリオライターの道――渋谷で学んだ「描写で伝える力」

夢はシナリオライター、でも現実は新聞記者
事件や事故を追いかける日々のなかでも、心の片隅にあったのは「ドラマを書きたい」という思いでした。20代後半、地方支局で働いていた私は、どうしても東京に出たい気持ちもあって、シナリオライターへの挑戦を決意しました。
渋谷シナリオセンターでの夏
選んだのは渋谷シナリオセンターの夏期講座。講師はベテランの女性。受講生たちは短編シナリオを持ち寄り、教室で次々と作品を発表していきました。
私は、ゴッホをモチーフに「どんなに求めても手に入らない恋」を描いたシナリオを提出しました。胸の奥にある“文学的な情熱”を形にしたつもりでした。
だが、返ってきた講評は冷ややかだった。
「キスの場面が多すぎるわね。普通の男女は、そんなにキスばかりしないのよ」
教室が静まり返ったのを覚えています。まるで自分の夢そのものを一刀両断されたような気分だった。
女性視聴者の目線に気づく
よく考えれば講師の言葉はその通り。ドラマの視聴者の多くは女性。その目線を理解できなければ、共感される物語は書けない。
“自己満足のシナリオ”ではなく“観客の心に届くシナリオ”を意識するようになった瞬間でした。
「ロングバケーション」に憧れた夜
当時、世間はテレビドラマ「ロングバケーション」に熱狂していました。
私は会社のビルの屋上で同僚たちと花火を見上げ、「ドラマの主人公になった気分」を味わいました。小さな非日常を演出するだけで、平凡な日常がキラキラする。
シナリオライターへの夢を完全にあきらめきれない自分が、確かにそこにいました。
描写で伝える力は記者にも通じた
シナリオ作りで学んだのは「言葉で説明しすぎない」こと。
ヒロインが恋人のペンダントを握りしめ、涙を落とす――
その仕草だけで「悲しみ」が伝わる。
新聞記事でも同じだった。事件で涙をこらえる遺族や、敗北して悔し涙を流す高校球児。言葉で「悲しい」と書かなくても、描写ひとつで読者に伝わる。
シナリオの教えは、取材現場で確かに生きていました。
挑戦することで広がる世界
結果的に私はシナリオライターにはならなかった。けれど、挑戦したからこそ、表現の幅が広がりました。文章から映像をイメージさせることで、より読者の心に訴え、共感を得られるようになる。
シナリオでも、お笑いでも、どんな挑戦でもかまわない。失敗しても、自分を磨く糧になる。
そして、もし才能があれば――シナリオライターや芸人として、本当に成功できるかもしれない。取り組んだことは財産になると思います。