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リーマン物語⑮

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アウェイ

30代後半で、雪が降る地方都市に異動になった。そこでは遊軍や市政キャップを担当した。赴任前に聞いていたのは地元紙のこと。社の人間から苦労するぞと言われた。赴任後、街の中心近くでマンションを借りた。しばらくすると地元紙の記者が私の部屋の二つ上に引っ越してきた。それがこの地域で仕事をすることかとすぐ分かった。

地元紙には、私の会社に特化した報告書が存在する。毎朝、地元紙の記者は社の幹部に逐一、私の社の記者の行動を報告している。地元紙から転職してきた記者がそう言うのだから間違いない。私が市政を担当したときは、担当課長に取材すると、すぐに課長から地元紙の記者に報告が行った。報告される前に私が夕刊に記事を書くと、地元紙の記者が担当課長の自宅に怒鳴り込んだ。翌日、課長から「私のところに取材に来ないでほしい」と泣き言を言われた。記者クラブの電話も盗聴されていると思うことが度々あった。記者や担当課と連絡を取るときは携帯電話に切り替えた。ただ、市長だけは私に懇意にしてくれたので、直接市長に聞くことが増えた。それでも常に監視されている気がした。地元紙は私の社の記者と飲み会で同席することは禁止されている。市や商工会、団体との懇親会では、彼らは必ず出席許可の申請書を社に出していた。彼らとは話をすることはできなかったが、他の全国紙の記者とは仲良くなることができた。みんなで食事に行くと、地元紙の話で盛り上がった。彼らも息苦しさを感じていたようだ。

ただ、地元紙の記事は面白かった。地元の老舗風俗店が閉店することが特ダネとして写真入りで第二社会面トップで掲載されたこともあった。なじみ客の惜しむコメントもあった。やられたと思ったが、後追い取材はしなかった。

この地域を経験して本社に戻った記者たちは、前任地のことを一切しゃべらない。私が話を向けても、とても口が重い。

ABOUT ME
シュレディンガー
シュレディンガー
報道記者
マスコミに勤務。記者として東京、大阪での取材経験あり。最近はサイエンスコミュニケーター目指して宇宙物理や量子力学を学んでいる。
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