「読まれるインタビュー記事」の作り方──新聞記者が語る“質問力”と準備の極意
読まれるインタビュー記事を書くには?
インタビュー記事を面白くするには、事前の準備が欠かせません。
取材対象者のプロフィールを調べ、どんな人物なのかを事前に理解しておくことで、「いい質問」が生まれます。いい質問は、いい答えを引き出します。
なぜ今、この人に話を聞くのか。
その“旬の理由”を意識すると、記事はより深みのある内容になります。
取材中に「あれ?」と思った言葉や仕草は、深掘りしましょう。そこに“面白い話の種”が隠れていることが多いから。
この方法は新聞記者に限らず、企業の広報誌や社内報の取材にも応用できます。
私の新聞記者としての取材経験をもとに、インタビューの極意を伝えます。
困難にぶつかっても ― 雪谷高校監督の取材
東京社会部にいた頃、私は第85回大会で東東京代表となった雪谷高校の相原健志監督(当時36歳)を取材しました。
事前にプロフィールを見ると、「映画監督志望」や「バー経営」という異色の経歴が目につきました。
高校野球の監督とは結びつかない経歴に、ドラマがあると感じ、インタビューはその点を中心に企画しました。
実際に会うと、予想以上にユニークな人物でした。
「好きな映画は『ローマの休日』や『ショーシャンクの空に』。派手なアクションより心に残る作品が好きなんです」
子どもの頃から映画館に通い詰めるうちに映像表現に惹かれ、「人を感動させる作品を作りたい」という思いから映画監督を志します。
大学卒業後は働いて800万円を貯め、ニューヨークの大学を目指して渡米。しかし、母親の病気で帰国し、映画監督の道を断念した。
その後、地元でバーを開きました。映画「カクテル」に影響され、演出でお客を喜ばせたいという思いがあったそうです。
丸刈りのがっちりした体格に、くりっとした大きな瞳。
一見アンバランスに見える外見ですが、そのギャップが魅力に感じられた。
彼はプロ野球の入団テストに挑戦した経験があり、その背景には「人を感動させたい」という共通の思いがありました。
昼は時間を見つけて母校である雪谷高校野球部に顔を出していた。指導力が認められ、助監督を経て監督に就任。1995年には東東京ベスト4まで導きました。
困難にぶつかっても希望を見いだして前向きに生きる相原さん。それは高校野球の指導でも発揮されている。
狭いグラウンド、週に一度しか使えない環境でも、相原監督は「限られた中で何ができるか」を徹底的に考えました。
遠征試合を重ね、選手に個人練習の重要性を伝え、筋力トレーニングにも積極的に取り組ませました。
バーでの経験も、チームマネジメントに役立つ
「バーでの経験も、チームマネジメントに役立っています。人との関係づくりはどこでも同じ」
監督として、目指すチームのシナリオを伝え、選手たちは人を感動させるドラマを次々と生み出していった。
「今回、生徒に奇跡を見させてもらった。(奇跡は)本当にあるんだ」
人生の転機をどう乗り越え、指導に生かしたのか。
その物語を引き出せたのは、事前に“伏線”となる情報を整理していたからです。

名古屋にこだわった女優 ― 山田昌さんの取材
名古屋を中心に活動する女優・山田昌さんを取材した際も、「なぜ東京ではなく名古屋なのか?」という一点に興味を持ちました。
山田さんは常滑高校からNHK名古屋放送劇団に入り、結婚後は知多市で暮らし続けました。「名古屋弁の女優」として知られていますが、実際にお会いすると標準語で話され、意外性がありました。
「地方にいても努力していれば、いつか光が当たると伝えたいの」
周囲の若い女優たちが次々と東京へ行く中、山田さんは名古屋で地道に努力を続けました。
やがて中年期に個性派女優として脚光を浴び、東京から仕事のオファーが来るようになったそうです。
インタビューで大切なのは“主導権”
インタビューは、相手のペースに任せてはいけません。
話が脱線しそうなときは、やんわりと軌道修正しながら「読者が知りたいこと」に導きます。
矛盾点があれば指摘し、正確に思い出してもらう。
質問に答えたくない態度を示す人でも、粘り強く向き合えば心が開けます。
その人しかできない生き方、内に秘めた信念に触れた瞬間、ワクワク感がぐっと増す。インタビューの醍醐味です。
終わる頃には、お互いに集中しすぎて疲れ果てることもあります。
インタビューは真剣勝負なのです。



