ローカル線を歩く 伊賀線と人々をつなぐ物語 ——8猪田道駅 9市部駅 「無人駅に残るぬくもり、かかしのある駅と“垂園森”の伝説」
伊賀鉄道の小さな旅。猪田道駅では無人駅の日常、市部駅では歌に詠まれた史跡・垂園森をめぐる。観光地ではないけれど、ここには人の手で守られてきた伊賀の原風景がある。静かなローカル線のホームに、人々の暮らしの記憶が残っていた。駅前の酒店が語る昔話、93歳職人の手仕事、そして多くの歌人が詠んだ史跡。伊賀の鉄道沿線に息づく人と文化を訪ねた。
猪田道駅
伊賀線で唯一、ホームが2つある駅――それが猪田道駅だ。
訪れたとき、上下線の2両が同時に停車しており、スマートフォンのカメラでその光景を撮る人の姿があった。
駅名の由来を、地域誌「伊賀百筆」編集長の北出楯夫さん(当時75)はこう説明する。
「この駅を降りると猪田村(開業当時)の集落に行けるという“道案内”の意味を込めたのではないか」。
実際、駅から旧猪田村の中心までは約1.6キロ。村の人々はこの道を歩いてようやく電車の恩恵を受けた。
駅前にある「福井酒店」は、駅の歴史とともに歩んできた。
店主の福井一夫さん(当時62)によると、昭和30年代まで駅長と数人の駅員が常駐していたという。
「子どものころ、学校帰りに駅で遊びました。冬は駅舎のストーブに火をくべて番をしたことも。駅員さんたちは優しくて、家のお風呂を貸したこともありました」。
駅は2000年に無人化されたが、福井さんにとっては今も生活の一部だ。

店では20年ほど前まで、火鉢のある机と椅子を置き、コップ酒やチーズなどのつまみを出していた。
夕方になると、仕事帰りの常連客たちが一杯やってから家路についた。
「このあたりの風景は、昔からほとんど変わっていません」と福井さんは笑う。
四十九駅――消えた駅の復活
桑町と猪田道の間には、かつて四十九駅があった。
戦時中に休止され、1969年に廃止。
その跡地にはショッピングセンターができ、今では伊賀署や県庁舎、ハローワークなどが立ち並ぶ。
地元からの強い要望を受け、2018年春、旧駅の北東側に「新・四十九駅」として復活した。
街の新しい顔として、多くの人を迎えている。

市部駅――“かかし親子”が迎える田園の駅
市部駅に降り立つと、まず目に入るのは水路のそばで釣りをする“かかし親子”。
地元団体「依那古体験隊」が、ペットボトルで骨格を作り、帽子や服を着せて手作りしたものだ。
代表の廣岡伸幸さん(当時60)は「地域の人に楽しんでもらい、まちの活性化につなげたい」と話す。
時折、季節に合わせてポーズや衣装を変えるという。初めて見た人は本物と見間違えるほどだ。

体験隊は2000年ごろに発足し、40~50組の親子がナマズ観察会などの自然体験を続けている。

和歌と伝説の森「垂園森(たれそのもり)」
市部駅の北約200メートルには、市指定文化財「垂園森(たれそのもり)」がある。
紀貫之、西行法師、後鳥羽院、藤原忠家など多くの歌人がこの森を詠み、清少納言の『枕草子』にも登場するという。
地元の喫茶店「雅羅里(がらり)」を営む西岡重保さん(当時81)によると、昭和27~28年ごろ、地元の区長が古文書を発見し、旧上野市に史跡として申請したのが指定のきっかけだ。
古文書には、この森に大和・三輪明神から勧請した大物主神がまつられていたと記されている。
周辺ではかつてそうめん作りが盛んで、「70年前は80戸のうち30戸がそうめんを作っていた。今は1戸だけ」と西岡さん。
「子どものころは森で走り回って遊んでいました」と懐かしそうに語る。
地域では昔から「垂園森の草木を折ると熱病にかかる」と伝えられ、立ち入りを禁じられてきたという。
それでも、子どもたちは森の中を駆け抜け、伊賀の自然とともに育った。

🌾まとめ
静かな駅、昔ながらの酒店、そして古代から歌に詠まれた森――。
猪田道から市部駅にかけては、鉄道の音とともに人の暮らしが息づいている。
伊賀線の旅は、単なる移動ではなく、時代を越えて「人と土地の記憶」に触れる時間でもある。

