ローカル線を歩く 伊賀線と人々をつなぐ物語 2ー花火つなぐ地域の絆、3ー郷愁漂う城下の老舗

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100年以上の歴史を持つ伊賀鉄道・伊賀線の魅力について各駅をめぐるシリーズの2回目、3回目は新居駅と西大手駅です。

新居駅――花火が映える鉄橋の駅

新居駅の周囲は田んぼで民家があまりありません。駅のすぐ向かいには太陽光発電のパネルが並ぶ。北側にトラック1台が通れるほどの道に踏切があり、乗用車やトラック、バイクがひっきりなしに通る。 

この駅の特徴は、次の西大手駅との間に伊賀線最長の鉄橋(全長約255メートル、服部川)が架かっていること。伊賀鉄道総務企画課の中村光宏さん(当時53)によると、西大手駅に向かって橋に近づくと窓から左前に上野城がくっきりと見える。

夏の花火大会では、ここが最高の鑑賞スポットになる。伊賀鉄道友の会は4年前から「花火鑑賞列車」を運行し、花火の時間帯に伊賀上野駅と上野市駅間を2往復する。募集定員は計60人。

うち一往復は橋の手前で最大15分間停車する。「車内灯を消して花火が夜空に鮮やかに広がるのがじっくり楽しめます。(2000発ほど打ち上げられた)昨夏は、フィナーレまで見ることができました」と中村さん。

今夏の花火大会は、伊賀青年会議所中心の実行委が解散したためいったん開催が危ぶまれたが、「子どもたちの夏の思い出や市民の交流の場をなくしたくない」と上野商工会議所などでつくる実行委が引き継ぎ、伊賀市市民花火大会を8月末に開く。

打ち上げは上野運動公園前の河川敷から午後8時半から午後9時半の予定。今年も「花火鑑賞列車」を同時間帯に運行する予定。

駅手前の道路を自動車教習所の車が曲がった。向かう先を見上げると高台に黄色い建物の「上野自動車学校」が見えた。学校によると、シンボルの黄色い建物は新校舎として建てられた。駅周辺は路上の教習コースにもなっている。踏切横断の練習もしているという。

西大手駅――田楽と組みひも、城下町の香り

 西大手駅は城下町にある。伊賀鉄道総務企画課の中村光宏さん(当時53)によると、「伊賀上野NINJAフェスタ」では駅前にテントが張られ、体験型の吹き矢道場が設けられる。週末は親子連れでにぎわう。

 駅から大通りに出ると、町家風の田楽豆腐料理店「田楽座わかや」に出合う。1999年に建物を今の形に造り替えた。店内はアンティークでおしゃれな雰囲気。くぎを使わず柱とはりで組み、随所に伝統の宮大工の技を取り入れた。創業1829年。田楽を載せる箱は江戸時代の「唐紅」色を使っている。

 そもそもなぜ、田楽料理なのか。11代目店主の吉増浩志さん(当時56)は、伊賀は盆地のため魚や肉の流通がなかったことを挙げる。タンパク源の確保のため大豆を求め、豆腐にみその田楽豆腐スタイルができあがった。

 名前の由来は「田楽踊り」とされる。能楽の観阿弥、世阿弥とゆかりがあり、粋なことが好きな伊賀で、観劇のごちそうとして発展したという。

 駅のすぐわきの実家で18歳まで過ごした。昭和40年代前半まで近くに材木置き場があり、子どものころは登って遊んだ。材木店が集まり、市が立ち活気があった。飲食店も5、6件が並んだ。名阪国道が整備されると、輸送は鉄道からトラックに替わり、材木置き場は姿を消した。

 東京の大学を卒業して30歳で店を継いだ吉増さん。伊賀線年には「実家では、いつも電車の音で目覚めた。時計代わりだった」とノスタルジーを感じている。

 駅と垂直に交わる通りには10店ほどが点在する。うち組みひも店「広沢徳三郎工房」は1902年の創業。初代が江戸に残っていた組みひもの技術を習得して伊賀に持ち帰ったのが「伊賀組みひも」の始まり。帯締めなどとして広まった。

 店は格子のある京風町屋づくり。3代目広沢浩一さん(当時69)は「数十年前まで通りに青果、魚、げた、しょうゆ、傘など26、27店が集まり、にぎわっていた」と振り返る。15年ほど前まで一帯で地蔵盆もあり、組みひもで作っただんじりの作品などを展示したという。

伝統と記憶が今も息づくまちで、伊賀線の電車は静かに走り続けている。

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報道記者
マスコミに勤務。記者として東京、大阪での取材経験あり。最近はサイエンスコミュニケーター目指して宇宙物理や量子力学を学んでいる。
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